GTMの思考記

GTM(グレイトティーチャーミナミ)を志し、「貧困世帯の子どもの希望になる」をテーマに夢を追いかけている僕が思考したただの日記です。

母がくれたプレゼントは、僕にとって"心の救急箱"となった。

大学進学を機に、離れ離れに暮らすこととなった母と久々にお酒をのんだときの話。

僕の仕事の話や母の小中学生のときの話をして、とってもあたたかい空間。
げらげらと笑いながらお酒をつぎあう。

ふと、僕の多感な小中学生のときの話に話題がうつった。

「しょうごは中学生の頃、『おれの視界から消えろ』
『おめーなんて死んでしまえ』『なんでおめーが親なんじゃ』って言ってたんだよー」
と笑いながら母は言った。

それを言われ、僕は中学生のときのことを思い出した。

あの頃の母は、
父のきつい"ことば"と"ちから"という雨をあびせられる日々だった。


いわゆる、DVというやつだ。
母は、僕と父からの挟み撃ちで身も心も追い込まれていたに違いない…
しかも相談できる相手は訳あって自分の母親一人のみだった。

ほとんど相談できる相手もいなく、
ひとりであの状況を乗り越えるなんて…

僕が母と同じ境遇だったら、どうなっていただろうかと想像するだけで「ゾッと」する。
おそらく、発狂していた…最悪は…

僕は「なんてことを母親にしてしまっていたんだ」と本当に母に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

中学生の僕は、
母が暴力をふるわれているのを見るのが嫌で家にかえりたくなかった。

中学校にいけば、悪さばかりしていたこともあり、クズ扱いする先生らの冷たい目が嫌いだった。学校に行きたくなかった。
だから、小中学生のとき母親に八つ当たりしていたのかもしれない。

お酒も進み、母がトイレに行った。

僕は一人でぼーっとしながら、大学のDVに関する講義の内容を思い出していた。

DVを受けている母親の中には、
自身の子どもに手を上げてしまう人がいるそうだ。

「母は僕に手をあげたことがあるのだろうか」と気になった。

子どもに手をあげることを良いことと思う人は少ないだろう。
でも、手を出してしまう人が完全に悪人とも思えない。

色々考えていると、母がトイレから戻ってきた。
そこで僕は母に問いかけた。

僕:「おかー。おかーは、おれを殴ったりしなかったの?
おかーのあの頃の状況を考えると、追い詰められて殴ってもおかしくないと思うんやけど」

母:「しょうご。ばかか!そんなことあるわけないやろ!どんだけ辛くても、大切な子に手を挙げることなんて絶対したらあかん!」

なんの躊躇もなく母はそうこたえた。

その母の力強い"ことば"に僕のなかの"なにか"が崩れ落ちた。

涙がとまらなくなってしまった。

僕:「あのころは、本当にごめんな。
色々おかーにひどいことしてしまって」

母:「しょうご。お母さんはな。大事なしょうごを当たり前のように育てただけ。なんもひどいことされたなんて思ってへんよ。子の成長を見守るのが母の務めや!逆に、こんなだめなお母さんを大事にしてくれてありがとうね」

母の懐のでかさに、僕はもーなにも言えなくなってしまった。

 

"親"も一人の人間。
間違ってしまう時だってある。
どうしていいかわからない時もある。

でも、
子を愛する親の想いは、本当にすごい。

こんなにも、すごいことがこの世の中にあるんだと実感した。
母は僕に"無償の愛"をプレゼントしてくれた。

僕にとって、母がくれたプレゼントは"心の救急箱"になった。 

僕:「おかー…ほんまにありがとうな」

母:「感謝されることでもないよ!そんなくだらん話はええからうまいお酒のも!久々やからさ♪」